Muranaga's Golf

46歳でゴルフを始めて10数年。シニアゴルファーが上達をめざして苦労する日々をつづります

思えばいつもそこに Sun の技術があった

3月18日に Sun Microsystems が発表したクラウド・コンピューティングの構想 "Sun Open Cloud Platform"日本語)は、その数時間前に出た IBM による Sun の買収報道ですっかり影が薄くなってしまった。

Sun Microsystems は、僕らの世代にとってはシリコンバレーを代表するイノベィティブな技術会社である。汎用ワークステーションに始まり、その OS である Sun OS、ウィンドウシステムの先駆けとも言える SunView。RISC アーキテクチャSparc チップの開発。Sun OS から Solaris への移行があり、プログラミング言語 Java の鮮烈なデビューがあった。オープンソースの台頭を受けて、JavaSolaris についてオープンな開発コミュニティを育成した。"The Network is the computer." というビジョンを掲げ、その実現に邁進してきた Sun にとって、今回発表した Sun Open Cloud はそのビジョンの体現と言ってよいかもしれない。

このように次々と新しい技術を生み出す、シリコンバレーの象徴のような Sun と付き合うことで、日本の IT 業界が実力をつけてきた側面はあると思う。少なくとも僕は、Sun Microsystems の存在がなければ、ソフトウェア技術者として成長していなかった。

Sun ワークステーションがなければ、UnixEmacs との付き合いも始まらなかったし、その上で Common Lisp を動かすこともなかった。Sun ワークステーション上で、X ウィンドウ、gccgdbGNU Emacs を動かして自分の研究開発環境・「生活」環境を構成した。インターネット商用化の揺籃期、1990年代半ばに僕は米国の Carnegie Mellon 大学で分散 OS の研究をしていたが、Java 言語の発表を聞いて震えた。「帰国したら絶対に Java で仕事をするのだ。」と思った。そしてその通りになった。Java VM仮想マシン)、Java で作られたウィンドウ・ライブラリ(AWT)、Web ブラウザ(HotJava)を、組込み OS の上に移植するプロジェクトのリーダをやることになったのだ。

協業の関係で何度か Sun を訪問した。Sun が買収したばかりのソフトウェア会社 Lighthouse Design の新築オフィスに行ったことがある。その時に会ったポニーテールの若いリーダが Jonathan Schwartzブログ)である。彼が後に Sun の CEO になるなんて、夢にも思わなかった。

その後、Java ベースのオブジェクト指向分散システム Jini に関連するプロジェクトで、Sun Microsystems Laboratories の技術者と face-to-face で議論する機会が何度か会った。オブジェクト指向の大家である Jim Waldo、X ウィンドウのチーフ・アーキテクトであった Bob Scheifler など、そうそうたるコンピュータ・サイエンティストと議論できたのは忘れられない体験である。

その後、僕は技術者からインターネット・ビジネスに転じたため、Sun の技術については専ら利用者の立場であった。Apache + Tomcat から呼び出されるサーバ側アプリケーションが Java で開発されること、そしてデータセンターに置かれるサーバが Sun 製であることが、ビジネスに転じてからの Sun との関わりになる。

そういう長い付き合いがあり、自分の技術者としての成長を支えてくれた Sun が、IBM に 65億ドルで買収される…。そう思うと、少し感傷的にならざるを得ない。Sun にいる人たちはどういう思いでこの報道を聞いたのだろう。