3月18日に Sun Microsystems が発表したクラウド・コンピューティングの構想 "Sun Open Cloud Platform"(日本語)は、その数時間前に出た IBM による Sun の買収報道ですっかり影が薄くなってしまった。
Sun Microsystems は、僕らの世代にとってはシリコンバレーを代表するイノベィティブな技術会社である。汎用ワークステーションに始まり、その OS である Sun OS、ウィンドウシステムの先駆けとも言える SunView。RISC アーキテクチャの Sparc チップの開発。Sun OS から Solaris への移行があり、プログラミング言語 Java の鮮烈なデビューがあった。オープンソースの台頭を受けて、Java や Solaris についてオープンな開発コミュニティを育成した。"The Network is the computer." というビジョンを掲げ、その実現に邁進してきた Sun にとって、今回発表した Sun Open Cloud はそのビジョンの体現と言ってよいかもしれない。
このように次々と新しい技術を生み出す、シリコンバレーの象徴のような Sun と付き合うことで、日本の IT 業界が実力をつけてきた側面はあると思う。少なくとも僕は、Sun Microsystems の存在がなければ、ソフトウェア技術者として成長していなかった。
Sun ワークステーションがなければ、Unix や Emacs との付き合いも始まらなかったし、その上で Common Lisp を動かすこともなかった。Sun ワークステーション上で、X ウィンドウ、gcc、gdb、GNU Emacs を動かして自分の研究開発環境・「生活」環境を構成した。インターネット商用化の揺籃期、1990年代半ばに僕は米国の Carnegie Mellon 大学で分散 OS の研究をしていたが、Java 言語の発表を聞いて震えた。「帰国したら絶対に Java で仕事をするのだ。」と思った。そしてその通りになった。Java VM(仮想マシン)、Java で作られたウィンドウ・ライブラリ(AWT)、Web ブラウザ(HotJava)を、組込み OS の上に移植するプロジェクトのリーダをやることになったのだ。
協業の関係で何度か Sun を訪問した。Sun が買収したばかりのソフトウェア会社 Lighthouse Design の新築オフィスに行ったことがある。その時に会ったポニーテールの若いリーダが Jonathan Schwartz(ブログ)である。彼が後に Sun の CEO になるなんて、夢にも思わなかった。
その後、Java ベースのオブジェクト指向分散システム Jini に関連するプロジェクトで、Sun Microsystems Laboratories の技術者と face-to-face で議論する機会が何度か会った。オブジェクト指向の大家である Jim Waldo、X ウィンドウのチーフ・アーキテクトであった Bob Scheifler など、そうそうたるコンピュータ・サイエンティストと議論できたのは忘れられない体験である。
その後、僕は技術者からインターネット・ビジネスに転じたため、Sun の技術については専ら利用者の立場であった。Apache + Tomcat から呼び出されるサーバ側アプリケーションが Java で開発されること、そしてデータセンターに置かれるサーバが Sun 製であることが、ビジネスに転じてからの Sun との関わりになる。
そういう長い付き合いがあり、自分の技術者としての成長を支えてくれた Sun が、IBM に 65億ドルで買収される…。そう思うと、少し感傷的にならざるを得ない。Sun にいる人たちはどういう思いでこの報道を聞いたのだろう。