Muranaga's Golf

46歳でゴルフを始めて10数年。シニアゴルファーが上達をめざして苦労する日々をつづります

思えば幸せな時代であった

高度成長時代はパイが大きくなるので、黙っていても売上が上がる時代だったと言う。僕たちが就職した頃は、さながら「IT の高度成長」が始まった時期であったろう。多くの友人が電気系・情報系の学科を専攻し、電機メーカーが就職人気ランキングの上位に来る時代であった。

僕自身、大学に入るや否やマイコンクラブに入り、アルバイトで貯めたお金で PC-8001 という 8ビットのパソコンを購入、プログラミングを覚え、動作原理を学んだ。その後応用物理系の数理工学を専攻して、コンピュータ・サイエンスの基礎を勉強し、Lisp プログラミングにハマった僕にとって、電機メーカーに就職して好きなソフトウェア開発を続けることは当然の選択であった。

まだパソコンが生まれたばかりの時代。IT ビジネスに無限の可能性があり、コンピュータ関係の仕事を選べば未来は明るい。無邪気にそう思えたし、事実、その後 20年数間、エキサイティングな IT の発展の中にいて、技術面でもビジネス面でもその面白さを享受することができた。

大学を卒業するころはコンピュータがとにかく好きで、それを職業として続けたかった。「自分の書いたプログラムで人々の生活を変える。」その思いだけが強くあった。とうの昔にプログラミングからは卒業し、さらにはエンジニアをやめて「文転」、経営の一端を担うようになってしまった自分だが、原点となるこの思いは変わらない。この一念だけで何とかやってきたようなところが僕にはある。

そこに「戦略」は要らなかった。自分を「差異化」するという概念にさえ思い至らなかった。そう意識しなくても生きていくことができる幸せな時代であったのだろう。

そして今。インターネットが急速に発展し、「学習の高速道路」があってもその先が渋滞を起こしている状況(梅田望夫『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』)は、僕らの頃に比べると難しい時代である。年齢を重ねて多少の分別もついた自分が若い世代のことを思うと、「戦略」の重要性、人と違う道を選んで差異化を狙うことを説いてみたくなる。ただし、差異化したと言えるまでに磨き上げるには、地道に勉強し続けるしかない。その厳然たる事実は、いつの時代も変わらない。