『おもてなしの経営学』やブログ "Life is beautiful" で有名な伝説のプログラマー、UI Evolution 会長の中島聡さんの講演を聴く機会があった。
中島さんは僕と同年代。1980年代のパソコン少年時代(アスキー創業期に CAD ソフト CANDY を開発。僕は GAME 言語コンパイラにお世話になった)、1990年代のマイクロソフト時代(Windows 95 の開発、そして Internet Explorer のアーキテクト)、2000年に UI Evolution を起業、現在に至るまで、常に最先端分野でソフトウェアの開発を続けている。僕も大学に入学してバイトして貯めたお金で NEC の PC-8001 を買ってマイコンにはまり、プログラムを書くようになった口だが、残念ながらプログラマーとしての才能がなかったので、マネジャーの道を進んでしまった。したがって、中島さんのように今も最前線におられるソフトウェア・アーキテクトの見識を聴くのは非常にためになる。
中島さんご自身もおっしゃっていたが、技術(テクノロジー)の最先端にいることで、3年くらい先の時代の方向性を感じることができる。時代の常として、技術が先に進化してその後にそれを生かす商品やサービスが生まれるからである。面白い技術であればあるほど、多くの技術者がやるので、さらにその領域が進化する構造になっている。
彼の話を簡単にまとめておこう。
テクノロジーは、ユビキタスネットワーク(どこにいてもつながる)、モバイルコンピューティング、クラウドコンピューティングと進化してきている。
クラウドコンピューティングにより、簡単に安価にサーバ側のソフトウェア環境構築ができる。そのサービスは、プラットフォーム(Amazon EC2/S3、Google AppEngine、Microsoft Azure)、アプリケーション(Salesforce.com、Sharepoint:Microsoft で唯一元気があるチームとのこと、Google Docs)、パーソナルクラウド(個人でクラウド上に空間を持つストレージ型サービス:Dropbox、Evernote、MobileMe)と分けられる。この中で、ソフトウェア開発の中心になるのは以下に示すプラットフォームの層である。
- Amazon EC2/S3
- Scalable Hosting Service
- ターゲット:Web サービス会社
- Google AppEngine
- Scalable Web Service Platform (BigTable)
- ターゲット:スタートアップ、スモールビジネス
- Microsoft Azure
- Scalable .net Web Service Platform
- ターゲット:大企業
Amazon EC2/S3 は、従来のレンタルサーバが時間貸しになったと考えればよい。一方、AppEngine や Azure は、ターゲットが異なるものの、アプリケーション・フレームワークと、データベースのスケーラビリティを提供するので、純粋なソフトウェア開発者にとっては非常に嬉しいものであり、今後、主流になっていく可能性がある(ちなみに、中島さんは最近のブログで「Google AppEngine はソフトウェア技術者にとって天国」と書かれている)。
クラウドコンピューティングがサーバ側の話であるのに対し、モバイルコンピューティングは、端末側である。携帯電話、スマートフォン、タブレットとさまざまなデバイスがある。中島さんはデバイスが一つになる(convergence)よりも、ケース・バイ・ケースで複数のデバイスが使い分けられるだろうと考えている(僕もそう思う)。その中にあって、プラットフォーム(OS)は以下のようになる。
- Apple iOS
- 最も成熟していて、ベストなユーザ体験(「おもてなし」)を提供する。
- Google Android
- たくさんのデバイスがあり、その動作が各社ごとに異なる。
- Microsoft Windows Mobile
- リリースされたばかり。ベンダーにより、よくコントロールされている。
- その他:あと数年の寿命だろう。
Android はデバイスの数が多いが、各社ばらばらの状態であり、同じプログラム・コードが動かない。かつての Java と同じような状況にある。HTML5 により、ブラウザ層でデバイスの違いを吸収できる可能性はある。
中島さんらしいユニークな見方だと思ったのは、Windows Mobile が数年後には Android を抜いているかもしれないと考えておられるところ。シアトルにいる Microsoft のチームは、iOS には負けても、Android には勝とうとしている。Microsoft が異なるデバイス間での動作を保証するのが、Android よりも優れているところである。
業界全体としてはクローズド・フォーマットからオープンなフォーマットへシフトする動きがある。したがって Flash、Silverlight、ActiveX が、数年後には HTML5、CSS3、SVG になっていく。当初はツールがなかったりしてコスト高かもしれないが、今からインタラクティブなアプリケーションに投資するつもりなら、オープン・フォーマットがよい。
講演の最後には、イノベーションについて話された。イノベーションには disruptive(破壊的な)思考が必要となる。単にロジカルな思考・発想ではできない。ロジカルな思考は誰にでもできるので、イノベーションにはならない。イノベーションには、何か一つ説明できないプロセス、ある種のジャンプがある。それはロジカルには説明できないエモーショナルなインスピレーションであり、クリエィティブな個人から生まれる。ロジカルに議論がなされる大きな組織の会議室からは生まれない。
したがってイノベーションを起こすには、クリエイティブな個人に、プロトタイプを作らせることが重要となる。新しい発想は、作ってみないとわからない。プロトタイプという目に見える形にして初めて、説明できないものが説明できるようになる。往々にして、そういうアーキテクトは文書で説明するのが苦手である。それよりも自らコードを書いて、動くプロトタイプで提案をしてもらう。これこそがイノベーションを起こす環境である。
「大企業の会議室からイノベーションは生まれない。」耳の痛いことばである。ロジカルに議論を重ね過ぎて、個々人のよいアイディアを殺してしまう可能性は否定できない。
講演の後、少し質問させてもらった。「人生の OS を標榜する Facebook や、Twitter をソフトウェア技術者としてどう思われますか?」Twitter が出てきた当初、僕はその意味がわからなかった。技術的にもそんなに優れているとは思えなかった。それが今新たなメディアとしてテイクオフしてしまった。技術によるものではない差異化を、エンジニアとして、中島さんはどのようにとらえておられるのだろうか。
Amazon は技術者を採用したいので「技術の会社である」と言っているが、実際には小売サービスがその最大の価値である。コアの価値は小売業にあるが、技術がそれを支えている。人生の OS をめざす Facebook や、新たなメディアをめざす Twitter も同じである。スケーラブルな超大規模サービスのためのシステム開発・運用は、シリコンバレーなら誰でもできる。そこだけでは差異化ポイントにならない。その上で、どのような新しい価値を提供するかがポイントであり、技術以外のマーケティングであったり戦略であったりといった要素が、ユニークな価値を生み出していく。
それが中島さんの答えであった。
中島さんは User Experience(利用者体験)に対して、「おもてなし」という秀逸な訳を生み出した。数年前に書かれた『おもてなしの経営学』の中では、アスキー創業の時代やマイクロソフトの最盛期を一緒に駆け抜けた古川享さんとの対談が、迫力満々で面白い。
おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書)
- 作者: 中島聡
- 出版社/メーカー: アスキー
- 発売日: 2008/03/10
- メディア: 新書
- 購入: 12人 クリック: 531回
- この商品を含むブログ (270件) を見る