Muranaga's Golf

46歳でゴルフを始めて10数年。シニアゴルファーが上達をめざして苦労する日々をつづります

大地震の後、徒歩で帰宅する

2011年3月11日金曜日。この日を僕たちは生涯忘れることはないだろう。マグニチュード 9.0 の大地震、そしてその後の津波の映像には胸が締めつけられる。被災され、今なお安否のわからない方たちの無事を祈らずにはいられない。

僕自身は大地震の後、思い切って歩いて帰宅するという選択をした。その時のことを記しておきたい。

15:00 前、16階にあるオフィスで、生まれて初めての大きな揺れを感じ、机の下に潜り込んだ。その時真っ先に考えたのは「家族は無事か?」ということだった。揺れが治まった後、オフィスにいる人たちの無事を確認、また幸いわれわれが運営しているネットサービスも問題なく動いていること、データセンターにも被害が出ていないことが確認された。オフィスの窓からは、遠くお台場のフジテレビの向こうで、黒煙が上がっているのが見える。電車はすべてストップしている。高速道路からも車の姿が消えた。

一方、電話はぜんぜんかからない。メールを使っての家族の安否もなかなか確認できない。そうこうする間に津波仙台市名取市を襲う様子がテレビでリアルタイムに放映され、息を飲む。心臓が止まるような思いだ。ようやくメールで一部の家族・親族の無事を確認できたものの、全員の様子は確認できなかった。さらに、いったん無事だという連絡が入った後、しばらく連絡が途絶えてしまった。メールが届きにくくなっているようだ。

そういう状況において、帰宅すべきか、オフィスに残るべきか。僕は徒歩で帰宅することに決めた。何人か同方向の仲間と一緒に、約 21km 離れた横浜の自宅をめざす。Google Maps で経路を調べると、だいたい地理感覚のある幹線道路である。浜松町から三田、高輪台、五反田と歩き、あとは中原街道から丸子橋を渡って、綱島街道東横線沿いに歩くことになる。

18:00 過ぎ、コンビニで水とチョコレート、カロリーメイトなどを仕入れ、歩き始める。幹線道路沿いの歩道には、同じように徒歩で帰宅する人が大勢いる。歩いてみてわかったのだが、幹線道路沿いを歩くことのメリットは、ガソリンスタンドでのトイレ休憩や、コンビニでの買い物ができることだ。一方、中原街道綱島街道は大渋滞で車は全然動かない。電車も当面動きそうもない。帰宅するには歩くしかない。一緒に歩く仲間がいると本当に心強い。疲れていてもちょっとした会話が救いになる。一人で黙々と歩くよりも、気持ちが楽である。

ツイッターを見ると、僕と同じように自宅をめざして歩いている知人もいる。オフィスに残った人たちには乾パンなどの非常食が支給されたようだ。僕もときどき実況中継をする。そして友人から応援メッセージをもらう。歩きながらも家に携帯電話をかけてみるが、やはりつながらない。携帯メールもなかなか届かない。その中にあってツイッターは自分の状況を伝え、周囲の状況を知り、また知人とつながるよい手段になっていた。

途中、武蔵小杉から日吉・綱島にかけては停電していた。渋滞している車の列の明かりが頼り。鶴見川を渡る時は真っ暗で、目の前を歩く人の姿もほとんど見えないくらいだった。信号も止まっていて、交差点ではお巡りさんが交通整理をしていた。

23:00 過ぎ、何とか 5時間歩き通して自宅に到着。一緒に歩いた2人はさらにここから 8km 先、つまり 2時間は歩く距離であり、車で送っていく。幸い、今まで歩いてきた街道沿いとは違って渋滞はなく、30分で着くことができた。車という文明の利器を実感した。

こうして何とか無事に、帰宅することができた。結果オーライ、早く帰宅できてよかったが、歩いて帰宅したのが正しい選択だったのか、自信はない。さらに余震が起こるリスクを考えると、オフィスにとどまり、翌朝、交通機関が動き出してから帰宅した方がよかったのかもしれない。今改めて、冷静に振り返ると、歩くことを選んだ理由は次のようなことだったろうと思う。

  • まだ家族全員の安否がわからず、また通信も全然できない状況のため、このまま会社にいても、何もできずただ心配するだけだろう。それよりはまだ何かしている方がいい。
  • 少しでも早く家族の顔を見たかった。家族と一緒に他の家族・親族の安否を心配したかった。
  • オフィスの高層階から、人が歩いている姿が見えて、歩けそうに見えた。
  • 一緒に歩く仲間がいた。
  • オフィスからお台場の火事が見え、落ち着かなかった。
  • Google Maps でルートを調べると、4.5時間・21km ということがわかり、それもよく知っている道順であり、ふだんのウォーキングの経験から歩き通せそうな感覚があった。

特に最初の二つ、家族の安否の心配で、いてもたってもいられなかったというところが正直なところである。性格的に、じっと待つよりも、何か変化を求めてしまうところがあるのかもしれない。こんなことは二度とあって欲しくはないが、5時間歩き、また道中さまざまな見聞をすることで、貴重な経験をしたと思っている。実際に被災された人たちのことを思うと些細な出来事に過ぎないが、覚えているうちに書いておきたかった。

地震津波の被害に遭われた方たちに、心よりお見舞いを申し上げます。そしてまだ安否のわからない方たちの無事を祈ります。