Muranaga's Golf

46歳でゴルフを始めて10数年。シニアゴルファーが上達をめざして苦労する日々をつづります

懐かしい名前と顔を見つけた

毎週日曜日に届く The Economist をパラパラとめくっていて驚いた。とても懐かしい名前と顔を見つけたからだ。Qi Lu, the boss of Bing。すなわち Microsoft のオンラインサービス部門のトップである。

Qi Lu

はじめは「あの Lu だろうか?」と自信が持てなかった。彼と付き合いがあったのは、もう15年も前のことなのだ(思わず Microsoft にいる友人に確認をお願いしてしまったほどだ)。

それはぼくが訪問研究員としてカーネギーメロン(Carnegie Mellon)大学に滞在していた時である。研究を進める上でのパートナーが Qi Lu であった。当時彼は Ph.D 候補生。モバイルコンピューティング用の OS、Coda を研究する Satya(M. Satyanarayanan)教授の学生の一人だった

School of Computer Science の建物の地下にある大部屋が、Lu やぼくたちのオフィスだった。そこには一人あたり3畳分ほどのキュービクルが20数個並んでいた。The Economist に載っている Qi Lu が、あの時の Lu だと確信したのは、「朝7時にこのインタビューをしたが、彼はその3時間も前に起きており、毎日の日課である5マイルのランニングを既に終えていた。」というくだりを読んだ時である(別の BusinessWeek の記事によれば「朝の3時に起きて夜の10時まで働く」とある)。そう。カーネギーメロンのあの大部屋で、彼は誰よりも遅く帰宅し、誰よりも早くオフィスに来ていた。「いったい何時間寝ているんだ?」と聞いても、ただニコニコしている。この小さい体にどれだけのエネルギーが詰まっているんだろう、と思ったものである。

Lu の博士論文の研究テーマは Coda OS の拡張であり、そのアプリケーションをぼくが開発していた。OS もアプリケーションも実装途中だったから、ぼくのバグなのか Lu のバグなのかがわからない。だから一緒にデバッグをした。自身の博士論文提出で多忙だった時期にもかかわらず、いつも親切にぼくの研究の相談に乗ってくれた。ぼくが一所懸命に考えた論点と解決策について、指導教授である Satya に簡単に論破された時、「皆、Satya にはかなわない。どんな Ph.D の学生もそうだよ。」と慰めてくれたこともある。

ときどきコーヒーサーバのある休憩室で一緒になると、雑談した。中国の貧しい田舎の出身だということだった。一生に一度あるかないかという米国への留学機会。OS のようなシステムソフトウェア系の Ph.D 取得には通常7年から10年はかかるが、落第は許されない。人生にたった一度の幸運を、絶対に成功に結びつけなければならない。彼の並外れたハードワークは、強い意志とハングリー精神に支えられたものであった。

ぼくの帰国が明日に迫った日が、Lu の Ph.D 論文の発表審査だった。教授陣からの矢継ぎ早の質問にちょっと長く答え過ぎて、かえって話をややこしくした印象があったが、最後はうまく議論を収束させていた。あとで聞いたら、無事 Ph.D が取れたということだった。本当によかった。

Lu に関する記事やウェブサイトは以下の通り。今や伝説ともなった生い立ちやハードワークの様子が記されている。Yahoo! の検索技術を率いていたが、ちょうど会社を辞めたばかりの時に、Steve Balmer が直接リクルートして Microsoft に入ったようだ。これもどうやらかなり有名な話らしく、自分の不明を恥じる次第。

日本に帰国してからは、国際学会に提出する論文に関してメールのやりとりをした。そしてぼくがシリコンバレーに出張した時に、一度だけ一緒に夕飯をとった。Lu が IBM の Almaden にいた時だと思う。以来、ほとんど音信不通で、IBM から Yahoo! に移った時にメール交換をしただけだ。

あれから10数年。Lu はひたすら前を向いて、もの凄い量の仕事をこなしてきたはずだ。Ph.D の学生だった頃を思い出すことはきっとあまりないに違いない。15年前は「何者でもなかった」 Lu が、Yahoo! の検索技術のリーダに登り詰め、今や Microsoft の経営幹部の一人である。今もまた超人的なハードワークを積み重ねて、 Lu は Google の牙城に挑んでいる。彼がインタビューで答えているように、それはとても長い道のりであろう。一人の友人として彼の成功を願わずにはいられない。

2010.2.9 追記:後日談